川田喜久治氏 写真展「百幻影-100 Illusions」

作家メッセージ
ロス・カプリチョス Los Caprichos
「1966年から70年にかけて、バロックのイメージをアジア、ヨーロッパに取材し、「聖なる世界Sacré Atavism」という写真集を作りました。
オブジェに封じられた精神世界を探りながら、自分の制作にそれがどう関わって行くのかを考えざるをえませんでした。写真をストレートのままでなく、角度を変えながら、現れてくる世界も探ってみたいと思っていました。夢のなかの光景が、現実を逆襲するようなトーンを思い浮かべたりしたのです。
これはかなり写真のプロセスとは逆行しています。写真は見たものを無心にあるときは厳粛に、さらにスリのようにすばやく写します。文学のように、自我と世界の複雑な心理的な構成もなく、また、高度な抽象や超現実のオブジェに異化する絵画作品などとも違うのです。映画とは逆に動きを作らず、時を切断するのが写真です。」
『ゴヤのエッチング集「ロス・カプリチョス=気まぐれ」や「ロス・デザストレス・デ・ゲーラ=戦争の惨禍」「ロス・プロベルビオス=妄」などを繰り返し眺めているうちに、銅板に刻み込んだ幻影が、いつしか私の頭のなかに住みついたらしく、そのイリュージョンが目の前に現れてくるという時期がながいあいだ続いていた。夜、見た夢の続きを白昼また見ているようであり、イメージはますます錯綜し、混迷の度を加えているようでもあった』
「いま、コンピューターで再生されたイメージには、眠り続けた記憶が表に出ようと、名残の袋を破ろうとしています。さまざまな既視感を膨らませ、あるものは、見知らぬ影にかわり、遺伝的には同一で、どこか危険なクローンのような遺伝子を印しているのです。」
ラスト・コスモロジー The Last Cosmology
「妖しく光る夜空への誘惑とともに、カタストロフをかかえたものたちが、目を覚ましたように身近に感じられてきました。20世紀も後半の1980年代頃から撮り始めたオブジェは異変や破局をどこかに抱えているようなものばかりです。写されたオブジェは、違ったものに変わる能力を持っていました。それらは、新しい経験をうながすものばかりです。見えにくいものが音を立てながら、素早く動いてくるのです。闇からの流星群のように。」
「二十世紀最後の金環蝕、金星蝕、皆既日蝕など天空の事象につづき、わが地上にも昭和期の終焉がありました。象徴的な太陽は、謎を抱えたまま雲間に消え去ったのです。最後のものを天と地に感ずることで、「ラスト・コスモロジー The Last Cosmology」としました。今日のコスモロジーは、気の遠くなる数式の素粒子論とか、物理学がきってもきれない関係にあるでしょうが、私の「ラスト・コスモロジー」は、地球のさまざまな物質が、彼方の空や雲と交感しながら進行する類推の山、写真の装置がみつけたアナロジーで、光と影が生んだイリュージョンなのです。」