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森村泰昌氏 展覧会「「私」の年代記 1985〜2018」


東川賞受賞作家 展覧会のお知らせ

シュウゴアーツにて、森村泰昌氏の展覧会が開催されます。


「私」の年代記 1985〜2018


森村泰昌氏 展覧会「「私」の年代記 1985〜2018」_b0187229_10560323.png
©Yasumasa Morimura


以下リンクより

森村芸術とは何か。

森村は自らを20世紀・昭和を出自とする日本の芸術家である、ということに自覚的です。日本は明治維新後は西洋文明・文化に影響を、太平洋戦争後はアメリカ文明・文化に影響を強く深く受けてきました。古くはそれは中国文明・文化でした。そうした日本の「古層」的な文明文化受容の精神構造を前提に、自らの芸術のあり方を追い求めてきました。そこには時代精神と歴史精神の両側面に立脚しようとする森村の決意・態度が伺えます。

森村芸術とは、自分ではない何かになる試みを続けながら、自分であることの意味を問い続ける営みの集積です。他者及び他者の芸術成果・歴史的事件に対する独自の分析を加えながら、自分の身体を用いて写真・映像・パフォーマンス表現をすることを考えれば、森村芸術とは、成果としての撮影作品だけではなく、実践としての現場もまた森村芸術の重要な一部を占める、と言ってもよいかもしれません。森村が作品において現場感の表出を大事にしているのはその表れです。

今展は森村芸術の34年間の軌跡を、「現場」作品とも言うべきポラロイド方式の写真(拡散転写方式印画)を通して辿るものになっています。撮影現場を自らが生き、創造する場として常に大事にしてきた森村芸術のエッセンスがそこにあります。本人自ら森村芸術の秘密を語るエッセイとともにこの展覧会をお楽しみ頂ければ幸いです。

末尾ながら、おかげさまで新生シュウゴアーツは六本木complex665ビルにて無事2周年を迎えます。その日を他ならぬ森村さんの個展にて迎えることが出来ましたことは大きな喜びです。この場を借りてシュウゴアーツを支えて下さっている皆々様、そしてシュウゴアーツのアーティストたちに深く感謝を申し上げます。

2018年夏 シュウゴアーツ




My Art, My Story, My Art History に向けて

1

私は今から35年ばかり前に、セルフポートレイト写真による作品制作を始めました。私が、現代の写真の状況(=誰もが自分自身や自分の生活を写真に撮る時代)の到来を予言していた者の一人であったと、そう捉えることも可能でしょう。私はその捉え方を否定はしませんが、しかし、正直なところ、私は、万人がセルフポートレイト撮影に興じているかのような現代の時代状況には違和感を感じています。私は、昔も今も、変わらず、人前に出るのが苦手です。自分自身を写真に撮り、その写真によって自己アピールすることが、気楽な楽しい行為であるとは、決して思えないのです。むしろ、私のセルフポートレイトの試みは、「引きこもり」であった自分自身を、無理やり社会に引きずりだすという自己治癒の試みであり、自分自身による自分自身の荒療治であったとも言えるのです。

現代はセルフポートレイトの時代であると、確実にそう言えるとは思います。そして私は、そういう時代の到来に先立つ先駆的な表現をしてきた美術家ですが、しかし、やっと今、時代は自分に追いついてきたというようには感じられません。今の時代状況と、私の表現のあり方は、どこかで共通な面を持っていながら、同時にどこかで決定的に異なっています。

2

私の尊敬する、日本のある心理学者(惜しいことに、もう亡くなられましたが)が、私に次のように言ったことがありました。

「私もあなたと同じように、いろいろなキャラクターに扮するんですよ」

この人も密かにセルフポートレイト写真を撮る趣味をお持ちなのかと驚きましたが、実際は、そうではありませんでした。

この発言は、この心理学者が精神分析医としてクライアントと対峙する時の、ご自分の立ち位置についての説明なのでした。

この心理学者の言うところによれば、クライアントの症状に応じて、自分自身も役割を変えて対応するのだそうです。ある場合には、父親のように接し、またある場合には母親のように接したりと、様々な役割を演じて、対話を重ねるのだそうです。そしてさらに重要なのは、そのような対話空間の全体が、この心理学者の想定する仮想現実として成立していなければならないという点なんだそうです。つまり、それらの対話は、現実世界で起きた実際の出来事ではなく、治療という非現実的に設定された場での出来事として、その心理学者によって統御 されていなければならない。例えば、心理学者がクライアントの恋人の役を演じることによって、クライアントから重要な告白を得たとしても、医師は、当然のことながら、クライアントの本物の恋人になってはならないのです。

この演技と統御のあり方を、この心理学者は、私に次のように説明してくれました。

「私は、私自身の心の中を、一種の劇場というか、さまざまなお芝居が展開する舞台のようなものとして想定するんです。そしてクライアントに、この私の劇場/舞台に登場してもらい、何がしかの役を演じてもらい、さまざまなことを語っていただくのです。そして私自身も、この劇場/舞台に登場し、相手の役にふさわしい役柄を演じるんですね。精神分析の場面って、あなたの芸術表現とちょっと似ているとは思いませんか?」

私はこの心理学者の考え方を全面的に支持します。

3

カメラは、もう一つの私の顔を浮かびあがらせる、鏡のようなメディアです。

4

私は太平洋戦争終結後、連合国軍の支配下で始まった日本の戦後に生まれた日本人なのですが、そんな私の精神形成は、とても矛盾に満ちています。一方では、戦前から続く日本の伝統的な文化に影響を受けつつ、他方では、戦後に、そういう日本の伝統文化を否定すべく、堰を切って流入してきた西洋文化、特にアメリカの新しい文化にも、大きな影響を受けた者のひとりです。私は、いわゆる「戦後世代」の典型的な日本人なんです。ですから、アメリカ文化やアメリカを通じてもたらされた西洋文化については、複雑な愛憎関係を持っていて、そうした愛憎の感情が、私の作品のテイストに深く関与していると、最近になって、さらに強く感じるようになりました。

もちろん、日本もアメリカも、そして世界も、今、大きく変化しています。もはや、「戦後」 とは何かなどという問い、あるいはまたそれに関連して、「戦前」とはなんであったかという問いかけも、現代という時代を捉えるための有効な方法であるとは言えないのかもしれません。今や日本文化といえば、アニメや日本食、それにニンジャなどが持てはやされ、それなりに経済効果を生んでいるため、日本政府もそれらには肯定的な姿勢を示しています。そのことについて、ここでは私はノーコメントとしておきますが、しかし少なくとも、あっさりしているようで、場合によっては粘り腰を発揮する私は、やはりどうしても「日本の戦後」というテーマは捨てきれず、まだまだこだわり続けているのです。

5

私には、自分自身の手によって、歴史を再構成してみたいという欲望があります。自分自身 が歴史の支配者になりたいというのではありません。むしろ支配者になどなりたくはありません。そうではなく、与えられ、当然の事実として歴史を受け入れることに抵抗を覚え、歴史という権威を壊してしまいたいとさえ考えています。 それはちょうど子供がおもちゃを壊したくなる衝動に近いかもしれません。子供はしばしば、大人からおもちゃを与えられた時、大人からその正しい遊びかたを指導されるのを拒否して、逆におもちゃを壊してしまい、勝手気ままな組み合わせを楽しみ、自分自身が満足の行く「子供の王国」を作り上げて行くのですが、私の芸術表現は、あの子供の破壊と再創造の行為の延長線上に位置しているのかもしれません。

私にとってのセルフポートレイトは、決して自分自身のプレゼンテーションでも、自己アピールの道具でもありません。それは、自分自身で工夫をこらし、いわば「手作り」によって歴史を作り直す快感の表明ではないかと思います。

この「手作り」という手法が、私の表現におけるセルポートレイトという手法と重なってくるのかなと、少なくとも私自身は、そう感じています。そしてその「手作りによる人類の歴史や美術史」を作り出す(身もふたもない言い方をすれば)材料として、著名な歴史上の人物のイメージが選ばれ、使われたりもするわけです。ですから、必ずしもテーマとなる人物と私自身が一体化されなければならないということはありません。

ただし、このあたりには微妙なニュアンスがあって、対象となるキャラクターとある種の一体感がなければ、単純な(似ていればそれでOKというような)似顔絵とあまり変わらない試みに終わってしまいかねないのです。

私と他者、この両者は異なる存在ではあるのですが、しかし私の中に他者を感じ、他者の中に私を感じる感覚がなければ、両者が理解しあえる要素は皆無だと言えるでしょう。この私と他者の間に流れる共通感覚のことを「一体感」というのであれば、その「一体感/共通感覚」というものは、セルフポートレイトの制作には必要不可欠な、「それがなければ、もうおしまい」とさえ言える、きわめて重要な、なんというかコレは、セルフポートレイト手法のちょっとした極意、コツのようなものでしょうか。わりと早い時期に私はコレを知らぬ間に体得したので、こんなに長くセルフポートレイトをやり続けることになったんでしょうね、きっと。

森村泰昌 2018年8月1日



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2018.10.20 Sat - 11.24 Sat

営業時間: 火〜土曜 11:00 - 19:00(日月祝・及び展示替え期間休廊)

106-0032 東京都港区六本木6-5-24 complex665 2F





by higashikawa_blog | 2018-10-11 10:58 | 受賞作家関連
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