石川直樹氏 写真集「日本列島 山口」
日本列島 山口

笠山で日本海に浮かぶ島々を一望した後、このあたりで最後に捕鯨がおこなわれていたという青海島を訪ねた。
島の北岸は日本海の荒波によってできた断崖に囲まれているのだが、その反対の仙崎湾岸では昔から古式捕鯨が盛んだった。明治43年を最後に捕鯨は途絶えてしまったが、往事の様子を知るために静ケ浦の入り江を訪ねてみた。かつてはこうした入り江に鯨を追い込んでいたのだろう。
山口県内の捕鯨文化を調べるため、日本海の孤島、見島にも行った。萩港を出発した見島行きのフェリーは揺れに揺れ、甲板に出て写真を撮っていてあやうく海に落ちそうになった。見島は萩港から約45キロの絶海にあり、180キロ先はもう朝鮮半島だ。見島は絶海に浮かぶ国境の島でもあった。
昔はこの島に在日米軍のレーダー基地もあったのだが、今はそれが自衛隊の基地になっていた。米軍が駐屯していた時代には、米軍相手の赤線もあったらしい。今はそんな往時の面影はない。
昭和30年代には韓国の済州島の海女さんが見島で働いていたこともあったというし、海岸を歩いていると、ハングル文字が書かれたペットボトルなどの漂着物を多く見かけた。時化の際などには韓国の漁船が避難しにくることもあり、なかには酔っ払った船員が、民家の窓のサッシを壊したり、船の器具を盗んだりする事件もあったというから穏やかではない。
北国屋という港に面した漁師宿に泊まった。宿の主人は北国一行さんと言い、その名字から推察できるように、祖先は能登のあたりから北前船に乗ってきたのではないか、という。見島が、北は朝鮮半島、東は東北や北陸とも交わる環日本海の十字路にあることを、島のあちこちで実感した。
こうした島を訪ねていると、民俗学者、宮本常一が“海から見た日本”という視点で日本文化の形成を再考しようとしていた理由がわかってくる。ぼくは彼から大きな影響を受け、彼の故郷である周防大島へも何度か旅をした。この島は見島とは逆に、太平洋へ向かったハワイ移民で有名で、ハワイに親戚を持つ島民も多くいる。山口というそれほど大きくない県が、国境を軽々と越えて日本海とも太平洋とも繋がってしまうことの不可思議さを思わずにはいられない。日本列島を海から見ることの重要性を、ぼくは山口で再認識させられた。
32 ページ
20 イメージ(カラー)
並製本
カラーオフセット印刷
初版
Published in 2019
ISBN 978-4-908512-43-8