荒木経惟氏 展覧会「HITOZUMA POSCA」

バブルの終わり、80年代の末のことだ。
消費行動が飽和して、モノを買うことが、
人生を自己表現のステージに変える手段となり、
自身の領域を明確にしようとする傾向を
タコの穴にこもる習性にたとえたものだ。
感性派閥(例えば、ポパイ派なら、ボタンダウンのシャツ、
ヴェスパに乗って、下北沢近辺に出没…といった具合に)
という言葉と並行して使われた。
よくもわるくも、ライフスタイルの細分化の始まりであり、
オタク化への初めの一歩と言われたが、
モノで外壁が塗り固められていたところが、現代との大きな違いだろう。
消費分析の便利なところは、数値化しやすい点だ。
しかしながら、実に多種多様で複雑怪奇な人という生きものの行為や思考を、
グルーピングするのは土台困難で、想像をはるかに超えるようなことが日々起きる。
この写真展もまた、驚異的に解析不能だ。
女性たちの笑顔、仕草、皮膜の奥底からほとばしる生き様のオーラは、
おおらかに力強く輝く。
しかるべく存在する憂いや傷みの翳は、
光に奥行きと深みを与えている。
撮ってさしあげる、と荒木さんは、常からいう。
表現をするのはレンズの前のその人で、
相手の気持ちに感応し最高の形で提示するのが写真だ、と。
女性は凄い、ほんとうに。
写真を介した関係性の生成する時間軸が、
この上なくまばゆいせいだろうか。
つい夢見てしまう。
すべての女性が、真の笑みとともにあり、
自ら導きだした価値観にのっとって、のびのびと屈託なく、
太陽のように輝き、人生を謳歌せんことを。