古屋 誠一氏 展覧会「第一章 妻 1978.2-1981.11」

古屋誠一は東京写真大学短期大学部(現・東京工芸大学)を卒業後、1973年、23歳のときに横浜港からナホトカ号、シベリア鉄道などを乗り継ぎ、ヨーロッパへ向かいました。二度と日本に帰らない、という強い意思をもった旅立ちでした。
ウィーンで数年を過ごしたのち、オーストリア第二の都市グラーツでクリスティーネ・ゲスラー(Christine Gössler)という一人の女性と出会い、結婚。その後一児をもうけます。古屋はクリスティーネと出会った直後からその姿を撮り始め、結婚後も日常的に撮り続けました。やがてクリスティーネは病を患った末に東ベルリンのアパートの上階から身を投げます。
古屋がクリスティーネと過ごした歳月は7年と8ヶ月ほど。その日々を『Mémoires(メモワール)』と題した5冊の写真集として上梓。彼女の死後、二人が過ごした3倍近い歳月(最初の発刊から21年)をかけて断続的に発行され続けてきたものです。
今回、写大ギャラリーに収蔵された作品は古屋とクリスティーネが共に過ごした歳月をほぼ完全に網羅する貴重なものです。古屋がクリスティーネに最初にカメラを向けた初々しい一枚、そしてクリスティーネが亡くなる前日に東ドイツのポツダムで撮られた一枚が含まれています。
それらの作品群から、第一章では息子・光明を出産する直前までのクリスティーネの姿に注目します。夫・古屋との関係を強く感じさせるものとなります。第二章では息子・光明を出産して母となったクリスティーネの姿を紹介します。こちらは息子・光明と母・クリスティーネの関係、そして父・古屋との関係を感じさせるものとなります。
子供の誕生によって、時に夫婦は大きくそのかたちやバランスを変えます。クリスティーネと古屋もまさにそれにあてはまります。妻、夫という顔だけでなく母、父という顔も持たされることになるからです。妻-夫、母-父、母-夫、妻-父といった意外なほど複雑な関係が生まれます。クリスティーネと古屋は文化、習慣、宗教、言語といったものが大きく異なる外国人同士の結婚でもあり、夫婦のありようがより際立って感じられる側面も持っています。そのかたちに注目することは、普遍について問うことにもなるはずです。
(企画構成 小林紀晴)
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