写真展「占領と平和」
この度、写大ギャラリーでは収蔵作品による「占領と平和」展を開催いたします。本展で紹介する多くの写真家たちは敗戦とその後の占領期という困難な時代を経験し、サンフランシスコ講和条約により「独立」を与えられた後は、アメリカの「核の傘」の下で高度経済成長を謳歌するこの国の姿をカメラに収めてきました。そのなかには、在日米軍基地が集中する沖縄から戦後日本を捉えるための視座を得ようと試みた写真家もいました。
戦争を経験した彼らは、占領期の日本をいかに生き、その眼には日米安保体制下で享受されるこの国の平和は、どのように映っていたのでしょうか。本展では、敗戦から昭和の終わりまでに撮影された写真と写真家たちが残した言葉、そして被写体となった人々の言葉を介して日本人にとっての戦後経験がいかなるものだったのかを探ります。
今年2月にはじまったロシアによるウクライナ侵攻は、「戦後」という枠組みを揺るがすものでした。また、日本でも戦後政治の裏面史への注目も集まっています。冷戦期に撮影された多様な写真からなる本展が、戦後日本の歩んだ道のりを問い直すひとつの契機となれば幸いです。
(企画構成 小原真史)
〔写真家たちの言葉〕
「ヒロシマ」は生きていた。それをぼくたちは知らなすぎた。いや正確には、知らされなさすぎたのである。敗戦後の数年は、占領軍は原爆のゲの字も言わせなかった。
土門拳『生きているヒロシマ』(築地書館、1978年)
日本の戦後史を一口で特長づけよ、と問われれば、ぼくはためらいなく、アメリカニゼーションと答えるだろう。アメリカニゼーションは米軍基地から始まった、という実感がぼくにはある。アメリカが、基地に張りめぐらされた金網の網目から、じわじわっとはみ出して、やがて日本全土に染みとおっていったというイメージだ。
東松照明『太陽の鉛筆』(毎日新聞社、1975年)
写すぼくに、難くせをつけたり怒鳴ったり、なにかとやっかいなのは百パーセント日本人で、大半のアメリカ兵たちはニコニコと大らかなものだった。激戦地から戻ったばかりの彼らの目には、きっとぼくなど、カメラを持った極東のサルくらいにしか映らなかったのかもしれない。
森山大道『もうひとつの国へ』(朝日新聞出版、2008年)
〔出品予定作家〕
川田喜久治、立木義浩、丹野章、東松照明、土門拳、中谷吉隆、平敷兼七、細江英公、森山大道 ほか
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2022年9月9日(金)~2022年11月2日(水)
10:00〜19:00
休館:木曜日、日曜日、祝日
*ただし10月9日(日)及び10月10日(月・祝)は開館〒164-8678 東京都中野区本町2-4-7 5号館(芸術情報館)2F