オサム・ジェームス・中川氏 展覧会「Witness Trees」
PGIでは3回目となる、オサム・ジェームス・中川の個展を開催いたします。
オサム・ジェームス・中川は、アメリカを拠点とする写真家です。日本とアメリカという二つの国にまたがる自身のアイデンティティをベースに、「歴史の中の個人」という視座から、社会や場所が持つ記憶を、写真を使って表象しています。中川は、パンデミックの影響で2020年と2021年に予定されていた展覧会が全てキャンセルになると同時に、教壇に立っている学校も一時的に閉鎖されたことで、アトリエでの制作も困難になるという不安定な状況に直面しました。予定していた沖縄での撮影行も叶わず、輪をかけるようにジョージ・フロイド事件が発生、ブラック・ライブズ・マターのデモや暴動が各地で起こりました。1970年代に移住した当時と同じような人種差別を肌で感じる日々、時間だけは刻々と進み、自分を見失うような感覚を感じた時、制作のテーマでもある自身のアイデンティティへの問いに改めて深く向き合うことになりました。特に、トランプ前米大統領がコロナウィルスに関して発言した「中国ウィルス」という言葉の影響で、自身が生活する地域でも、アジア人に対する差別感情による犯罪が起こったことをきっかけに、「日系」ということについて思いを巡らせることになりました。その中で、戦前にアメリカへと移住した日本人家族と、 中川のように高度成長期にアメリカに移り住んだ日本人家族では、根ざしている記憶にはっきりとした違いがあるのではないかと考え始めたといいます。
新作となる本作「Witness Trees」は、コロナ禍の2022年初頭に制作が始まりました。それはアメリカ各地に残る日系アメリカ人強制収容所を回る旅で、2022年2月中旬から10月にかけて計3回、アーカンソー州、コロラド州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、カリフォルニア州南東部、ユタ州、アイダホ州、カリフォルニア州北東部、オレゴン州、ワイオミング州、ノースダコタ州、ウィスコンシン州の11の州、19の日系アメリカ人強制収容所を訪れています。
初めに訪れたアーカンソー州のローワー収容所で、木の影の中に立ったセルフポートレートを撮ったことから、各収容所で自身の姿を写すことを始めました。そうした中、コロラド州のアマチ収容所(正式名称、グラナダ収容所)でバラック小屋の土台だったと思われるコンクリートの塊のそばに立っている木が気になり、ポートレートのように撮影したのがこのシリーズのきっかけとなりました。
木を写していても、それがシリーズになるとは思っていませんでした。でも、コロラドで木の写真を撮り始めて、次のところに行くとまた、何もない荒地にボロボロになって立っている木があったり、アリゾナではサボテンがこっちを向いて立っていたりして、まるで、アウグスト・ザンダーのポートレートの様だと思い撮り続けました。81年前、何もない砂漠に、日差しにするために植えたであろう木もありました。僕自身も、誰もいない荒地のキャンプ跡で木の視線を感じながら朝から晩まで写真を撮っていたし、昔も今も木がここで起きていることを見つめているんではないかなと。
Witness Treeという言葉は、日本語では馴染みが薄いですが、アメリカでは歴史的に重要な出来事や時代を目撃し、今もなおそこに立っている木をさして使われています。それらは過去に思いを馳せ、その場所に現在生きる人々を歴史に繋げることができると言われています。本作において中川は、私という個人の身体を通して写されたこれらの木々のポートレートが、過去を可視化し、現在の社会に対しその在り方を問うきっかけとなることを願っています。
2022年、私はこれらのキャンプがあった場所を巡礼するように一つ一つ訪ねました。15,200マイルのその旅で、19ヶ所をめぐりました。
Witness Treesのポートレートは、その旅で、その場所で出会った木のポートレートです。
アメリカの学校に通い始めた1970年代の終わりに経験した人種差別、そしてこの数年間でもう一度経験している人種差別。あの時、どのように日本からの移民たちをこれほど荒廃した場所に閉じ込めたのか。それを理解したいと思いました。
かつての収容所の光、空気、埃、風、匂いを吸い込みながら、過去と現在、ポジとネガ、アナログとデジタルを繋ぎ、オーラを描き出しながら、言いようのない記憶の重みをもって彼らが、私を見つめているように感じました。
帰る家がなくなった今、この国を私のHomeと呼ぶしか無いのです。
本展では、デジタルピグメントプリント約20点をご覧いただきます。
Witness Tree
2022-2023
パンデミックが引き起こした動揺、警察官によるジョージ・フロイドの殺害、そしてトランプ大統領時代のアジア人に対するヘイトクライムの増加は、アメリカに深く根付いたシステマティックな人種差別を痛感させるものでした。そして、ちょうどその少し前から日本にあった両親の家の処分を進めていた私は、家族がいつも故郷と呼んでいた場所とのつながりを失い、否応なしに、自分を見つめ直すことになりました。多感な時期に移住し、45年暮らしてきたアメリカという国から見た自分の立ち位置を、再び自分自身に問うことになったのです。
私はアメリカ人なのでしょうか?それとも日本人?日系アメリカ人?
私の家族は、戦後の高度成長期にアメリカに渡りました。好景気とともに同じ頃にアメリカへと渡った日本人と、第二次世界大戦前に移民した先祖を持つ日系アメリカ人の歴史は大きく異なります。前世代の移民やその子供たち、孫たちは、語られない苦痛の歴史を背負っているのではないか?パンデミックや人種差別で揺れるアメリカで、そのことをずっと考えていました。
1941年12月の日本の真珠湾攻撃から 2 か月後、フランクリン D. ルーズベルト大統領が大統領令 9066 号に署名し、約 12万5千 人の日本人と日系アメリカ人を、主にアメリカ西部の砂漠地帯に強制的に収容しました。 彼らは、土地や家、事業を失い、自国の政府の手によって収容所の厳しい荒涼とした環境の中に隔離されるという二重のトラウマを抱えることになりました。
2022年、私はこれらのキャンプがあった場所を巡礼するように一つ一つ訪ねました。15,200マイルのその旅で、19ヶ所をめぐりました。
Witness Treesのポートレートは、その旅で、その場所で出会った木のポートレートです。
アメリカの学校に通い始めた1970年代の終わりに経験した人種差別、そしてこの数年間でもう一度経験している人種差別。あの時、どのように日本からの移民たちをこれほど荒廃した場所に閉じ込めたのか。それを理解したいと思いました。
かつての収容所の光、空気、埃、風、匂いを吸い込みながら、過去と現在、ポジとネガ、アナログとデジタルを繋ぎ、オーラを描き出しながら、言いようのない記憶の重みをもって彼らが、私を見つめているように感じました。
帰る家がなくなった今、この国を私のHomeと呼ぶしか無いのです。
オサム・ジェームス・中川
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2023.5.17(水) - 7.1(土)
月-土 11:00-18:00
日・祝日 展示のない土曜日 休館
106-0044 東京都港区東麻布2-3-4 TKBビル3F