石内都氏 展覧会「石内都 初めての東京は銀座だった」
資生堂の創業の地、銀座は、常に最先端のモノや人が集まるモダンな街として注目され、伝統を継承しつつも新しい文化を取り入れながら発展してきました。資生堂の企業文化誌『花椿』のウェブ版『ウェブ花椿』では、そんな銀座の過去と現在について考える「現代銀座考」を連載し、好評を博しています。その第2章となる「銀座バラード」(2022年6月から2023年5月まで)*は、モノの記憶を映し出す石内の写真から、森岡督行が物語を紡ぐかたちでうまれました。
本展では、「銀座バラード」のために石内が撮り下ろした写真から、未発表のものも含む約30点のオリジナルプリントを紹介します。
石内が最初に銀座を訪れたのは、1962年15歳の春でした。東京でバスガール(女子車掌)をしていた叔母に、当時流行っていたジャズ喫茶に連れて行ってもらうためでした。その後、映画鑑賞や美大時代に画材の購入のため足を運ぶようになります。そして、写真家としてのスタートとなった初期の三部作、「絶唱、横須賀ストーリー」(1977年)、「APARTMENT」(1978年)、「連夜の街」(1980年)の個展を開催したのも銀座でした。
「銀座バラード」では、石内が現在も大切に保管し、銀座を訪れるきっかけとなった歌手のレコード、月光荘で戦時中に製造・販売されていた絵具など、石内の記憶と結びつくものに加え、資生堂の初めての本格的な香水「香水 花椿」、銀座や新橋の芸者の方々から譲りうけた着物に明治時代に芸者衆から愛された新橋ブルー色を用いたスカジャン、銀座寿司幸の蛸引き包丁、ミタケボタンのアンティークボタン、銀座天一の天ぷら、銀座もとじの草履、壹番館洋服店の鋏、銀座ボーグの帽子、資生堂パーラーのオムライスなど、銀座の文化を作ってきたお店を象徴する品々を写真に納めています。
写真家として時を重ねるうちに、石内の写真についての考え方は変化してきました。初期の頃には抵抗を感じていた記録・伝達という写真の役割について、今はそれも受け入れ写真に対してもっと自由でいたいと思うようになったといいます。今回、そのような思いで石内が撮影した品々からも、我々が覚えていたい、忘れたくないと思う技術や、伝統、誇りなどを感じとることができるのではないでしょうか。
2023年は関東大震災から100年という節目の年にあたります。銀座はその歴史を通じ、大きな震災や戦禍から蘇ってきた復興の象徴ともいえる街でもあります。最近は海外からの観光客を含む多くの人が戻ってきました。変化していく銀座で石内が捉えた品々から、さまざまな記憶や物語を想像しながら銀座の魅力に改めて気づいていただける展覧会となりましたら幸いです。
石内 都
1947年群馬県桐生市生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。1979年、初期三部作のひとつ「APARTMENT」で第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。同じ年生まれの女性の手と足をクローズアップした「1・9・4・7」以降、身体の傷跡を撮ったシリーズを展開。2005年、母の遺品を撮影した「Mother’s 2000-2005 未来の刻印」で第51回ヴェネチア・ビエンナーレの日本代表に選出されてから世界的に注目を集めるようになりました。2007年より現在まで続く、原爆で亡くなった人々の遺品を撮影した「ひろしま」も国際的に評価され、近年は国内外の美術館やギャラリーで個展を多数開催。2014年には、写真界のノーベル賞と言われるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。2015年、J・ポール・ゲティ美術館(ロサンゼルス)の個展「Postwar Shadows」では、「ひろしま」がアメリカの美術館で初公開され、大きな反響を呼びました。その活躍から女性アーティストを牽引する存在でもあり、自然体で揺るがないライフスタイルは、作品とともに幅広い層からの共感を得ています。
2018年には、住居を横浜から生まれ故郷の群馬県桐生市へと移し、桐生を活動の拠点として、写真のこれからについて考えをめぐらす日々を過ごしています。
資生堂では、「永遠なる薔薇 石内 都の写真と共に」展(2005年)(ハウス オブ シセイドウ※現在は閉館)のほか、資生堂ギャラリー 「石内 都展 Frida is」(2016年)の開催を通して、石内の作品を紹介しています。
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2023年8月29日(火)~10月15日(日)
火~土:11:00~19:00
日・祝:11:00~18:00
休館:毎週月曜休 (月曜日が休日の場合も休館)
資生堂ギャラリー
〒104-0061 東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階