百々俊二氏 展覧会「よい旅を 1968-2023」

このたび百々俊二は、日本写真協会より「自身の『写真の力』は言うに違わず、写真指導者として、次世代の若き写真家と真摯に向き合い、切磋琢磨をともにして、一人ひとり強固な写真家に育て上げてきた。」そして長年にわたる功績に対して、2023年度日本写真協会賞・功労賞を受賞しました。
百々は、半世紀にわたって人間の“生”を、真正面に、真摯に向かい合い、撮り続けてき写真家と言えるでしょう。生まれ育った大阪をはじめ、紀伊半島、日本海、または日本を飛び出しバンコクと、その活動は多岐にわたっています。しかし、いずれもそこの土地にたくましく生きている人々の姿を克明に記録し、その息づかいまでも写しとどめられています。百々俊二の半世紀にわたる写業の一端をご覧ください。
〈百々俊二 ことば〉
19才の冬1967年1月佐世保。ベトナム戦争・原子力空母エンタープライズ寄港反対闘争を7日間撮影したこのとき本気で写真家になると決めた。
大阪、西成、新世界から始まり、街とそこに暮らす人々の日常を主題とした。
モノクロームフィルム35ミリカメラでのスナップは街や人の中を泳ぐように、佐世保、沖縄、岩国、新世界を歩き回った。
6×6二眼レフローライフレックスは立ち止まりこんにちはとあいさつしながら話をして撮らしていただいた。新世界。バンコク。
4×5、とくに8×10大型カメラは三脚を据えてシャッターを切るべき瞬間を吟味しながらスッと出会う感覚を大事にしながら柔軟でしなやかに手のひらでフワッと見るようにカッチリとした大型カメラ特有の写真にならないように心掛けた。
それは35ミリカメラスナップで得た微妙な感覚のようなもの。楽土紀伊半島、日本海、大阪の大型カメラシリーズ。特に大阪は55年間かかわり続けた好きで大切な場所。
若いころの自分に出会う面白さ楽しさ。カメラは、知りたい見たい世界を覗ける窓。写真はひとりで続けることができる。
いいと思う瞬間を重ねてきた。永い旅のようだったけど一瞬の時と永遠。
どのような有り方だったか、人と街とどのように出会ったか、
Bon voyage, よい旅を。
ご高覧ください。
百々俊二
【百々俊二 Dodo Shunji】
1947年 大阪府生まれ
1970年 九州産業大学芸術学部写真学科卒業
東京写真専門学校九州校教員
1972年 大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校・大阪)教員
PRESS RELEASE
1998年~2016年 同校学校長
2015年~2022年 入江泰吉記念奈良市写真美術館館長
●主な著作
1971-77年 「地平」1-10号
1986年 「新世界むかしも今も」長征社
1995年 「楽土紀伊半島」ブレーンセンター
2000年 「千年楽土」ブレーンセンター
2003年 「沙羅双樹」遷都
2006年 「花母」Gallery Out of Place
2009年 「菜園+サクラ」Vacuum Press
2010年 「大阪」青幻舎
2012年 「遥かなる地平 1968-1977」赤々舎
2014年 「日本海」赤々舎
2018年 「地平」11号 Case Publishing
2019年 「空火照の街」 Case Publishing
「地平」12号 Case Publishing
2022年 「Dream Boat 俊二・新・武」 Case Publishing
●主な受賞
1996年 「楽土紀伊半島」で日本写真協会年度賞受賞
1999年 「千年楽土」で第24回伊奈信男賞受賞
2007年 日本写真芸術学会・芸術賞受賞
2011年 「大阪」で第23回写真の会賞
「大阪」で第27回東川国際写真フェスティバル飛騨野数右衛門賞受賞
2023年 日本写真協会功労賞受賞
●主な個展
1978年 「大阪・天王寺」銀座・大阪ニコンサロン
1985年 「新世界むかしも今も」銀座・大阪ニコンサロン
1999年 「千年楽土」銀座・大阪ニコンサロン
2000年 「千年楽土紀伊半島」奈良市写真美術館
2010年 「大阪」銀座・大阪ニコンサロン
2016年 「それぞれの時『大阪』~森山大道・入江泰吉・百々俊二~」
入江泰吉記念奈良市写真美術館
2017年 「日本海」銀座・大阪ニコンサロン
「A LIFE 1968-2017」Gallery916
PRESS RELEASE
2022年 「Dream Boat 俊二・新・武」キヤノンギャラリーS
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2023.9.16(土)ー2023.11.26(日)
午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館:月曜日(休日の場合は最も近い平日) 休日の翌日(そのが平日の場合)
入江泰吉記念奈良市写真美術館
〒630-8301 奈良市高畑町600-1


