展覧会「永劫回帰に横たわる虚無 三島由紀夫生誕100年=昭和100年」

この「日本」の捉え方を別の角度によって反転すると「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」という自決する数ヶ月前の遺した三島由紀夫(1925-1970)の言葉が今の日本に反響する。ロラン・バルトと三島由紀夫の双方が捉えた日本の「空虚」を前提にして、“死とひきかえ”となった三島の遺作小説「豊饒の海」をテーマに次世代の国内外の作家によって戦後美術家たちを逆照射(反復進行)し、意味から解き放たれた中心のない空虚な戦後美術史のある風景を三島由紀夫の世界観と重ね合わせて浮かび上がらせていく。
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている」(「豊饒の海-天人五衰」)。遺作となった小説4部作「豊饒の海」の築き上げられた物語の大伽藍が最終章の「天人五衰」(第4巻)の聡子の言葉によって一瞬にして瓦解する。「あの作品では絶対的一回的人生というものを、一人一人の主人公はおくっていくんですよね。それが最終的には唯識論哲学の大きな相対主義の中に溶かしこまれてしまって、いずれもニルヴァーナ(涅槃)の中に入るという小説なんです」(対談・「三島由紀夫最後の言葉」)と三島は語っている。
1970年11月25日に防衛庁東部方面総監室で自決した三島の遺作となった小説「豊饒の海」は、三島にとって一世一代の「反小説」的実験であった。国内外の現代美術家によって三島由紀夫のこの壮大な小説のテーマ「阿頼耶識=相関主義)」の一端を浮かび上がらせることが、本展覧会の趣旨である。


